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「潮騒を聴きにいこうよ」海をつくる会・坂本昭夫さんとのダイアローグから見えてきた海洋との向き合い方

SOA Japanでは、さまざまな海洋の活動家と対話を行い、横断的に知見を掛け合わせることで、「若者と海をつなぐ」方法を探索している。


今回は、市民団体海をつくる会の事務局長・坂本昭夫さんとオンラインダイアローグを行う機会があった。SOAJからはメンバーの渡辺こころと田代周平が参加し、坂本さんが海の清掃活動に従事されるようになった経緯やそこでの活動経験、またこれからの時代においてどのような発信が求められるかなど、幅広く対話を深めた。


自殺者の車、人骨、釣りゴミ、そしてプラスチック・・・水中清掃ダイバーとして40年以上にわたって海中の世界を見てきた坂本さんとのダイアローグ。そこから見えてきた「海洋との向き合い方」は、とてもシンプルな考え方だった。


坂本 昭夫(さかもと あきお)

1981年海をつくる会設立と同時に入会。1997年二代目事務局長就任。2030年までに海洋漂着ゴミを無くす活動を開始。毎週どこかの海、湖、浜で清掃活動中。




コンビニのビニール袋から始まったダイビング清掃活動


海をつくる会とは、1981年から横浜の山下公園を拠点に清掃活動をしているボランティアの市民団体のこと。海底・水中・海浜のゴミ拾いだけでなく、生き物やマイクロプラスチックの調査、そしてワカメのワークショップなど、とても幅広く活動されている(詳しくは過去の活動を参照)。


現在、坂本さんは海をつくる会の事務局長を務める傍ら、法政大学と横浜国立大学で「海洋環境再生」の講義をもつだけでなく、NPO法人湘南VISION研究所の「湘南VISION大学」でも講師をされるなど、多様なセクターから海洋の再生・教育に従事されている。


では、そもそもなぜ水中清掃をするようになったのか?


40年ほど前、商社で働きながらダイビングショップのインストラクターをしていた坂本さんは、自身のダイビングチームと共にファンダイブ(楽しむためのダイビング)をしていた。


しかしそれは、それまで紙製だったコンビニの袋が「ビニール化」した時代でもあった。軽くて頑丈、さらには無料のビニール袋は、それまでの「ごみ」に対する観念を大きく変えることになった。水に溶けないため、海に潜りに行くたびに、魚ではなく、海面に浮くビニール袋が目立つようになったという。


「じゃあダイビングチームでごみを拾いにいこう」


ちょうどその頃に横浜・山下公園を拠点に立ち上がっていた「海をつくる会」への加入を決意し、その後40年以上続けることとなる活動が始まったのである。


海をつくる会 YouTubeより


海底でみた自殺者の車、人骨、ヤクザのピストル


水中清掃と聞くと、陸上のごみ拾い活動よりもハードルが高く感じられるかもしれない。実際、ダイビングのライセンスを取得する必要があるし、最低限のスキルも求められる。


また、それ以上に「課題」であることとして、坂本さんは日本の海における「潜る」ことの難しさを規制の観点から挙げた。一口に「潜る」といっても、スタート地点である公園や、湾や港ごとに定められた細かい規制の制約の中で活動することになる。毎回、海上保安庁やその土地の港湾局との綿密な手続きの応酬をくぐり抜けて、初めてダイビングが現実となるのだ。


それでも、この活動に大きな意義を感じるからこそ続けてこられたのだろう。


坂本さんが水中ごみ拾いを続けていくなかで、いくつか気づいたことがあったという。一つは、数十年拾っても、ごみの量自体は確実に「増えている」ということ。その多くは、生活から出たペットボトルなどの使い捨てプラスチックが雨風によって河川に流入し、最終的に海に漂着したものだ。


もう一つは、潜る場所によってごみの「質」も違うということ。観光地、住宅地、産業地域にはそれぞれのごみの特徴があり、引き揚げるのも困難な粗大ゴミを発見することも珍しくない。なかには、自殺者の車や人骨、それにヤクザの抗争で使われたとされるピストルまで混じっていた。


一般人はあまり触れることのない海底の世界。そこには、私たちの想像以上に、人類が「豊かで便利な」生活を送る上で払ってきた“代償”の爪跡が残されているようだ。


最近では、海中ゴミ拾いを動画としてアップロードするユーチューバーも少なくない。海に潜らない人でも手軽に海中の世界を観れるようになった(スイチャンネルより)


海洋環境の「再生」では、より密なセクター間の連携が求められる


先述したとおり、坂本さんは清掃活動の他にも、大学での「講義」という形で発信・教育に携わっている。そこで若者に教えるのは「海洋環境再生」についてだ。


ただ、海洋環境の再生というのは、極めて多面的かつ複雑なものである。そのブラックボックスを切り拓いていくマクロ視点の一つとして、坂本さんは日本の現状を例に挙げ、いかにセクター間の“連携プレー”が欠如しているか指摘した。


その最たる例の一つが、海洋生物の生命を脅かす化学薬品だ。


例えば、トイレの“芳香洗浄剤”として使われるとある商品。これは、化学薬品を研究開発する企業の方が技術的に高度なものを扱っているため、行政が管理する下水処理場では適切な処理を施すことができない。その主な原因は、研究開発の段階で両者が連携していないことにあり、下水処理場が発売後に「こういう薬品が使われている」と発見し対策を講じる、というその構造そのものにある。結果として、「トイレにいい」成分は、海洋流出した後、海洋環境を破壊してしまう。


他にも、坂本さんはとある有名な除草剤に言及した。理由は、化学薬品の生態系への有毒性を示す指針がミジンコやメダカなどの基準となる生物をあげたため、それらの生物が死なないように作られたが、他の生物が死んでしまったのだ。これも、行政側がこういった問題を予期し、指針を再編成した上で、企業と連携をとっていれば、未然に防ぐことができただろう。


企業と行政、それに加えて学術研究や市民活動までもが、互いに手をとり、共通の目標に向かって歩む。それは、社会のシステム(構造)そのものを見直すことでもあり、とても時間のかかるプロセスだ。


工業排水・生活排水による海洋汚染は深刻。詳しくは海上保安庁が出した「海洋汚染の現状」も参照(Image:gooddoマガジン)


一人ひとりが豊かな生命感覚、スローな生き方を取り戻していくということ


ではミクロ視点では、すなわち私たち一人ひとりにできることはあるのだろうか。


長い間アカデミックな環境で海洋と向き合ってきた坂本さんだが、その界隈において海洋というテーマは「全体的に無視されている」と感じているという。


「そもそも海に行かない人に話をしたって、響かない。今の人は海から切り離されたところで暮らしている。文科省ですら、“良い子は海に行かない”という指針を出しているのだから」


確かに、現代の日本人の「海離れ」は顕著だ。以前に公開した記事でも書いたように、若い世代の半数近くは「海への親しみを感じていない」。30〜40代に関しても同じ傾向が見てとれる。


もちろんこれは海だけでなく、現代人が抱く「自然」に対する感覚について広くいえること。長い歴史の中で当たり前のように身の回りの地球環境(近所の空き地、まちの川や林)と一体化した暮らしを築いてきた私たち人間は、「効率」や「利便性」や「利益」を求めた結果、「都市」という空間に経済活動を集積させ、役に立たない自然を外に追いやってきた。「自然」はいつしか暮らしから切り離された“存在”になってしまっていた。


東京での暮らしは人工物と”切り取られた自然”に囲まれている(Image: Unsplash)


先の6月8日のWorld Oceans Dayに開催したオンラインパネルでは、スピーカーの伊達敬信さんがこんな発言をされていた。


都会の生活は、忙しく刺激が多い。その刺激的な遊び方に慣れてしまった若者は、“海へ行こう”といった心の余裕やテンポ感を忘れてしまっている。“急いでいるから、コンビニのおにぎりを食べればいいや”という風に。こういうあり方が、そもそも若者の目が社会問題に向かない理由なのではないか。ちょっと立ち止まって食と自分の健康のつながり、食と地球の健康のつながりを考えてみる、といった心のゆとりがないことが、今の社会問題の根底にあるような気がする」


立ち止まり、「ゆっくりとした時間」をもつことで、心のゆとりを生み出していく。身近な自然に五感でふれ、生命としての私たちに元来備わっている深い身体感覚への意識を研ぎ澄ましていく。


COVID-19によってペースダウンを余儀なくされている今、一人ひとりが「自分は本当はどう暮らし、どう働きたいのか」を再考して、生きていくリズムをリ・デザインする絶好の機会が訪れている。


「原宿に行く代わりに、“ちょっと散歩に行こうよ”とか“潮騒の音を聴きにいこうよ”ってなるのって、とてもいいと思うんですよね」


来る日も来る日も海に潜り清掃活動を続ける坂本さん。その未来のキャンバスに描かれているのは、とてもシンプルで美しい世界だ。


SOA Japan 編集部

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