SOA Japan
「表現とアクションの場」として若者と海をつなげるユースイニシアチブ Sustainable Ocean Alliance Japan
夏が来た。
コロナと五月雨が相まって、インドアの日々が続いていたが、気づけば半袖短パンの季節になっていた。
緊急事態が解除され、浜開きも間近に控えたこの時期、身体の細胞が少しずつ海に入る準備を整え始めるのを感じるが、近年、若者の「海離れ」が加速しているらしい。
日本財団の調べによれば、10代から20代の4割が「海への親しみを感じていない」そうだ。同じく4割がそもそも「海に入ることが嫌い」と答えた。
「日本人は海の民である」はずなのに、どうしてだろう?
こんな素朴な問いから、とある活動が生まれることなった。この夏ローンチする若者団体Sustainable Ocean Alliance Japanのストーリーを聞いてほしい。
マンガ連載のほとんどは、海での物語
突然だが、マンガは好きだろうか?
今、目の前に46巻で完結する連載マンガがあると想像してほしい。タイトルは「地球と生命の歴史」。1巻につき、1億年の計算だ。
1巻の冒頭で、地球が誕生する。その後、3巻あたりで海が生まれ、7巻から9巻くらいには安定するようになる。
ちょうどその頃、地球上で初めて生命が誕生するのだが、場所は、海の中だ。

そこからの生命のストーリーは、すべて海中で起きる。海が凍ったり、生命が絶滅したりと波乱万丈な物語が待っているが、その度に持ちこたえ、進化していく。
そして、なんと42巻で初めて生命は海を出て、陸上進出を果たすのだ。マンガの連載でいえば、ストーリーの結末にさしかかっているあたり。
ちなみに、人類が誕生するのは、46巻(200ページ)の最後のページの下半分のコマになる。
この連載が物語っているように、長い長い生命の歴史、それを紐解いていくと、ほとんどが海での出来事なのだ。僕たち人間も、みんな「海出身」ということになる。
身体のほとんどが水でできているのも、こぼした涙がしょっぱいのも、僕らが海に生まれた名残なのだそう。
すべての生命の源、母なる海(海という漢字に注目)は、僕たち一人ひとりの身体の中に「内なる海」を授けてくれたのだ。
“No blue, no green.”
地球の表面の7割を占める海は、生き物たちの家として、気象や気候のバランスをとる係として、食糧や資源の宝庫として、酸素の供給源としてあり続けてきたが、今、世界の海は荒波の中にあるといってもいい。
耳にタコができるほど聞かされる「地球温暖化」だが、海水は熱を吸収するため、本当に「温暖」になっているのはほとんどが海だ。これにより、10億人が依存していると言われるサンゴ礁は2050年までに絶滅する恐れがある。

魚だけを見ると、乱獲されていない漁業資源は残り10%。乱獲は年々加速していて、海域面積で世界第6位の日本は世界の海洋活動家たちを悩ませている(特に「混獲」が問題であるということはあまり知られていない)。
2050年には海のプラスチックが重量で魚を上回るという調査結果は世界を揺るがしたが、毎分車約10台分のプラスチックが海に流出していることを知ると頷ける。自分の使っている歯磨き粉がそれに寄与しているかもしれないなどとはほとんどの人が思ってもいないだろう。
これらの比較的よく知られた「海洋課題」に共通することが一つある。それは、私たち人間が引き起こした問題であるということ。
産業革命以降、効率性を求め経済成長至上主義を貫徹してきた人類は、急速な文明発展を遂げた。しかしその犠牲を払ってきたのは、いつも立場の低い人々や「声」をもたない地球環境だった。
しかし近年、分離されてきた「人」と「自然」の関係性を捉え直す動きが世界中で見られるようになった。ガイア理論やディープエコロジーといった新たなパラダイムが続々と生まれつつある。
それでも、海洋生物学者のシルビア・アールは2009年のTED Talkで、いまだに海洋へのアウェアネスが低いと警鐘を鳴らした。

“No water, no life. No blue, no green.”
海は地球上もっとも豊かな生息地であるだけでなく、雲を形成し、雨として陸の全生態系を支えている。海なくして、森なし。
しかし、グレタ・トゥーンベリに触発され、日本でも開催されるようになった気候マーチでは、皆緑を着ている。アポロ17号の乗組員が地球を“The Blue Marble”と呼んだように、地球の71%は青なのに。
これは、緑よりも青の方が重要だ、という話ではない。
森も、山も、川も、海も、すべては大きな生命の連関の中でつながりあっている。その壮大なネットワーク ー 生命のインターコネクション ー に心を傾ける必要がある。
ただそれには莫大な想像力が求められる。ストレスフルに感じるかもしれない。それに、6000以上の島々から成る国に住んでいるとはいえ、多くの人は日々の暮らしの中で海を見ることすらないだろう。
だからこそ、今、海を表現することが求められているのではないだろうか。
言葉として、歌として、絵として、映像として、踊りとして。
そうして少しずつイマジネーションを膨らませていくことが、The Blue Marbleに暮らす生き物として、自分たちの「母」を心の中で感じとることにつながっていく気がする。

一歩ずつ、共に学び、共に行動を起こしていくために
喜ばしいことに、近年日本でも積極的に海に関する学びや行動の輪を広げようとする動きが見られるのも事実だ。
財団や研究所、市民団体などがリードし、子どもたちへの海洋教育やキャンペーンを展開している。海洋プラスチック問題を扱うスタートアップは珍しくなくなった。
しかし、世界に比べれば、思いっきり遅れをとっている。

僕がちょうど一年程前に国際NGOの船に乗り、通訳として地球一周していたとき、一人の男性がゲストスピーカーとして乗船してきた。Sustainable Ocean Allianceという団体のプログラムディレクターだ。
世界で初めて、グローバルな若者リーダーのネットワークを築くことで海洋課題のソリューション開発に繋げるというプログラムを展開していると聞いたとき、途轍もない可能性を感じた。

以来、日本でも似たイニシアチブを起こせないか模索してきた。そしてやっと、SOA Japanという形でローンチできることになったのだ。
SOA Japanは、若者がより海を身近に感じられるような文化・社会の形成を目指している。海離れしつつある自分の世代の人々が、一歩ずつでいいから、共に学び、表現し、行動を起こしていくようなプラットフォームになりたい。
そうすれば、山に住む人も、街に住む人も、内陸に住む人も、海辺に住む人も、「生命の偉大なつながり」に気づき、本当の意味で人と海が共生できるようになるかもしれない。本当の意味で「海の民」になれるかもしれない。
“水を一滴飲むたび、息をするたびに私たちは海とつながっている。地球上のどこに住んでいるかは関係ない” シルビア・アール
大海の一滴だとしても、積もれば水たまりくらいにはなるかもしれない
ローンチのためにここまで走ってこられたのも、仲間たちのおかげだ。
ボランタリーであるのにも関わらず、強い意思とエネルギーでもって、いつも笑顔で手伝ってくれた(平均年齢20〜24歳)。感謝してもしきれない。
こういう人たちと活動していると、今の若い人たちが本当に世界を変えていくのだという確信が自分の中で生まれるのを感じる。
COVID-19、AI、DX、経済不振、環境危機、子どもの貧困、フェミニズム。この怒涛の時代を莫大な情報の渦の中で生き抜くZ・ミレニアル世代は、自分の価値観と合致するものを探し出し、自己を表現することを当たり前と思っている。
そうなれば、あとは表現の場をつくるだけだ。
SOA Japanがそのキャンバスとして、人と人がつながる「潮の八百会」になれたら嬉しい。安心で安全な文化空間として、自分たちの未来を形作っていくために。
僕らがやろうとしていることは大海の一滴かもしれないけれど、ちょっとずつ積もっていけば、小さな水たまりくらいにはなるかもしれない。
いつか、そうなる日が来ることを願って。
Sustainable Ocean Alliance Japan 旗振り役
田代 周平 / Shuhei Tashiro